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小乗仏教の仏と大乗仏教の仏との違いを五井野正博士が語ってくれました

今回あおぽ第968号が配られました。
2面のトピックスに東京国立博物館
で開催中の「コルカタ・インド博物館所蔵インドの仏、仏教美術の源流」展についての記事が掲載されました。
 何でも、この特別展で仏教誕生以前の仏として「菩提樹(ぼだいじゅ)(カナカムニ仏)の礼拝」(写真1)が展示されているという説明です。

  katakamuna
(写真1)菩提樹 (カナカムニ仏) の礼拝 東京国立博物館ホームページより

 でも、「菩提樹(ぼだいじゅ)(カナカムニ仏)の礼拝」には仏様が彫られていません。そのかわり、樹木が彫られているのです。
 実はこの樹木がカナカムニ仏の象徴だと言うのです。と言うのも、仏教はもともと偶像崇拝が禁止されていたそうなんです。
 仏教は仏法と言われるように悟りが主体なので法が大事だったからです。ですから、仏像や曼荼羅を拝むより仏典と呼ばれた教典の意味を理解することの方が大事だったのです。
 では、なぜ菩提樹が仏様の象徴だったのでしょうか?そしてカナカムニ仏とはどんな仏様だったのでしょうか?と言うことで、五井野正博士が久々に登場してインタビューに答えているのです。以下はあおぽ968号に掲載された記事より抜粋しました。

・カナカムニ仏とは何でしょう?

釈迦の前にも六仏がいて釈迦も入れて過去七仏と言われた時代がありました。
カナカムニ仏は仏典では倶那含牟尼仏(くなんごんむにぶつ)と書かれていますが、これは仏典が中国に来たときの漢訳であって、原典のサンスクリット語ではKanakamuniと表記されるので、ローマ字読みでカナカムニと言う訳です。」

・なるほど、そうでしたか。お経など読んだことがないので倶那含牟尼仏(くなんごんむにぶつ)という名前も知りませんでした。

「そりゃ当然でしょう。仏教学者やお坊さんだってその名前を知っている人はあまり多くないと思います。ところで、カナカムニ仏はその七仏の中の5番目にあたる仏でした。
人の寿命が3万歳の時に、もっとも4万歳という説もありますが、道理から言えば3万歳の方が正しいのです。カナカムニ仏烏暫婆羅(優曇婆羅=ウドンバラ)の木の下で成道したと言われています。
 ですからカナカムニ仏の場合菩提樹というタイトルは博物館側の誤りだと思います。菩提樹釈迦の場合を意味します。ちなみに釈迦の前の仏は迦葉仏(かしょうぶつ)と呼ばれ、最初の仏から数えて6番目の仏にあたります」

・そうなんですか!カナカムニ仏の場合は菩提樹じゃなくてウドンバラだったのですか。

「そうです。優曇婆羅(うどんばら)優曇華(うどんげ)とも言い、『金光明経』では三千年に一度花を咲かせ、その時は転輪聖王が出現すると言われているのです。しかしながら、一般には優曇華の花は三千年に一度花を咲かせるという話から想像上の花と言われています。しかし、人の寿命が3万歳もある仏典の世界の話ですから、必ずしも想像上の話とは言えませんね」

・そうですね。優曇華の花という言葉は聞いたことがありますが。そうすると、このカナカムニ仏の話から来たわけですね。ところで、釈迦の場合は7番目の仏になる訳ですか?
そうなると経典では三千大世界にたった一仏しか顕れないと聞いているのですがどう違うのでしょう?

釈迦当時アーリア人が信仰するバラモン教が主体で釈迦アーリア人の出生です。ですから、出家当時はバラモン教の修行が主体です。バラモン教の神はブラフマン(梵天)ですから、究極の目的は梵天の世界に行って梵天衆になることだったのです。
 そこで、梵天の世界に行った人をブッタ(仏)と呼んでいたのです。だからバラモン教で言うブッタ(仏)釈迦の説く仏教、つまり大乗仏教の仏とは違う意味なのです。」

・そうだったのですか。こんな話は初めて聞きました。ブラフマンという言葉はあまり聞き慣れていませんが、梵天とは釈迦の仏像の左右に脇士としている梵天・帝釈のあの梵天ですか?

「そうです。その梵天です。つまり、バラモン教では最高の神にあたります。例えば、キリスト教だったら究極の目的は神の国、天国に行くことでしょう。それと同じで阿弥陀経で言えば究極の目的は阿弥陀如来西方浄土に往上するということになります。そこで、バラモン教では梵天に行くことが究極の目的だったので梵天に行けた人をブッタと言っていたのです。」

・なるほど。すると、釈迦が出家して、ブッタになろうとしたのはバラモン行の修行をして梵天に行くための修行だったのですね。

「そうです。そこでは、釈迦バラモン教の修行に伴い難行苦行をしたのち、全ての欲を捨て、菩提樹の下で三味のヨーガ(後に座禅と言われたもの)に入ったのです。
 つまり名誉欲、知識欲、権力欲、食欲、性欲など全ての欲を捨て、骨と皮だけのガリガリの身体の釈迦は最後の断食(だんじき)と断水(だんすい)を行ってミイラ寸前となり、いよいよこの世を去ってあの世(梵天の世界)に行ってブッタ(仏)になろうとしていたのです。
 すると、その時に釈迦の前にスジャータと言う名前の女性が鉢にお粥を入れて供養しに来たのです。本来なら釈迦は食欲を断っていよいよ梵天にいく時に食物を出しても受け取る訳がないし逆にスジャータは修行の邪魔をしたと思われる訳です。
 ところが、釈迦は鉢に入ったお粥を受け取り、それを食(しょく)してしまったのです。すると、それを見た5人の修行者、つまり釈迦が出家した時から国王の命令でずっと随行してきた修行者たちは釈迦に負けて退転(たいてん)したと思って去ってしまったのです。
 これが後に日本の仏教僧たちによって仏になる前には必ず魔王(第六天魔王)が邪魔をしに来るという考え方になった根本原因になってしまったのです。
 しかし、事実は当然違います。釈迦スジャータを見て一瞬でその心と願いを悟り、あの世(梵天)に行かずに、この世に留まり菩薩の道に入るのです。
 そこで、それまでのバラモン教の考え方である梵天に行くブッタ小乗教の仏と言い、梵天を超えた世界、つまり、梵天を超えた菩薩道で修行していく世界をMaha(偉大な)梵天=大梵天と呼び、そのような道の教えを大乗教と説明されたのです。
 ですから、過去七仏と言っても過去六仏までは小乗教の仏で、釈迦の場合は大乗教の仏になりますから本質的には七仏には入らないのです。もし、入るとしたら七番目の仏は本来なら弥勒仏だったのです。」







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